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信じられない、誘われてしまった。いやいや、目的はナルトたちのことだ。そう、あいつらの試合の状況だとか、ちゃんと予選は突破したのかとか、そういうことを聞くのが本来の目的なんだ。だから俺との友好関係の発展だとかそんな邪な気持ちは吐き捨てねばならんのだ。
と、思いつつ、目の前にいるカカシ先生を見ているとどうにも緊張してしまう。
今、俺はカカシ先生の案内で連れてこられた居酒屋にいる。個室で二人っきりと言うのは以前にもあった状況だったが、カカシ先生のことを意識してしまっているので、どうにも落ち着かない。落ち着かないので酒をあおって紛らわそうとしている。つまみしか来ていないと言うのにもうグラス三杯もおかわりをしている。
「あの、もしかしてお疲れですか?なんか飲むピッチ、早くないです?」
カカシ先生は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。いや、だからその顔を近づけないでほしい。
「いえ、大丈夫です。どんどんいきましょう。いや、しかしあの自来也様に師事してもらえるとは、ナルトは果報者ですね。」
「ええ、まあ、そうですねえ。」
カカシ先生は苦笑いして少々歯切れの悪い返事をした。
「何か心配なことでも?」
「ええ、実はサスケも入院したままなんで。」
「そうだったんですか、そんなにひどい状態なんですか?」
「いえ、怪我の方はさほど。目が覚めればすぐに修行に出ても大丈夫なくらいですよ。」
「そうですか。カカシ先生はサスケの指導にあたるんですね。」
「はい、写輪眼を扱えるのはこの里で俺しかいなくなってしまったので。」
カカシ先生はそう言ってグラスの酒を一口飲んだ。その顔の表情は憂いを帯びている。悲劇の一族、うちは一族。カカシ先生はうちはの者ではないのに写輪眼を所持していることで有名だ。その目がどうしてカカシ先生に受け継がれているのかは謎で、世間には知られていない。
俺は知らず知らずのうちにじっとカカシ先生の左目を見つめていた。額宛てで隠れているが、その下に写輪眼があると言うのは知っている。間近で見たことはないがそうなのだろう。
「えーと、気になります?写輪眼。」
あからさまに見ていたつもりはなかったが、カカシ先生に聞かれて俺は顔を真っ赤にした。俺ってばなんてことをしてんだ。これじゃただのミーハーじゃないかっ。
「すみません、俺、いや、別に、」
俺はわたわたとしてしまった。が、丁度そこに注文した料理が運ばれてきた。
俺はほっとしてうまそうですねー、とか言いながら取り皿に入れていく。
「見せてもいいですよ、イルカ先生なら。」
折角流そうと思っていたのに、わざわざ話題をそっちに持って行かなくてもいいのに。カカシ先生って結構意地が悪いのか?
俺は苦笑しつつも、ええ、まあ、と曖昧に返事をした。
カカシ先生はくすりと笑って額宛てをあっさりと外した。えっ、そんな簡単に外しちゃっていいの?まあ、個室だから他の人間に見られるってことはないだろうけど、写輪眼は貴重なものだから所持しているだけでも命を狙われると聞くのに。
現れたのは赤く燃えるような色をした瞳で、黒目の中に模様が描かれている。
でも、どうしてだろう、この目を珍しいと思えない。文献なんかで見たと言うわけでもないのに、うちはの家系に知り合いもいなかったし、間近で見たことなんてないはずなのに。
「イルカ先生?」
俺はずっと凝視していたのだろう。慌てて視線を逸らした。
「すみません。」
「いえ、いいんですよ。大したことないでしょ?5年前まではそう珍しいものでもなかったし。」
「カカシ先生は、その、どうして写輪眼を?」
うちは一族特有の黒髪でもないし、右目に至っては濃い青なのだ。うちはの一族とは思えない。あの一族は結束力が強かったし、婚姻だって一族の中でしかしない。
カカシ先生は少し考えたあと、小さな声で秘密です、と言った。
俺は少し悲しいと思ったが、おいそれと語れることではないのだろう。それにその理由を知らないのは何も俺だけではないことだし。そう言って自分を納得させた。
それから、ナルトたちの試合のことや、日々の木の葉の情勢だとか、話題は尽きずに時間はすぎていった。
そうして数時間後、俺は見事に飲みつぶれていた。最初、空きっ腹にガンガン酒を流し込んでいたのが原因らしい。頭が霞みがかってぼんやりとしている。机に突っ伏してもうこのまますぐに眠ってしまいそうだ。それでも辛うじて意識だけはなんとか繋がっている。が、明日覚えているかどうかは明日になってみないと分からない。
こんな醜態、カカシ先生に見せたくはなかったなあ。
ん〜?カカシ先生が何か言っている。なんだろう?
「カカシせんせぇ?」
俺は呂律の回らなくなった、舌っ足らずな声でその名を呼んだ。顔を上げてカカシ先生を見ると、何故か硬直している。カカシ先生は酔っぱらっていないように見える。酒に強いのかな?俺もそれなりに強いけど、きっとカカシ先生には負けるなあ。
カカシ先生はぽりぽりと後頭を掻くと俺の腕を掴んだ。
「さ、帰りますよ。送っていきますから。」
俺はカカシ先生に連れられて、よろよろとしながらも立ち上がって居酒屋を後にした。
今日は生憎の曇り空で月は見えなかった。ああ、そう言えばカカシ先生は恋をしているんだったなあ。月夜に好きだって自覚したという人物がいるのだ。
そうだ、俺、失恋決定なんだ。
相手には好きな人がいるのに俺はカカシ先生が好きで、俺って、馬鹿みたいだ。
知らず知らずの間に涙が出てくる。そうだよな、カカシ先生、顔も整ってるし、すごい優しい人だし、上忍だし、俺が付け入る隙なんてないんだろうなあ。
はあ、とため息を吐けば、隣を歩いていたカカシ先生が立ち止まって俺の顎を掴んでぐいっと自分の方に顔を向けさせた。
「どうしたのイルカ先生。何か悲しいことでもあった?なんで泣いてるの?」
それはあなたが好きだから、なんて乙女なことは言えないから、俺は無理に笑って誤魔化す。
「なーんでーもないれすよー?カカシ先生はぁ、男前だな〜、って思ってただけです〜。」
俺は酔っぱらった振りをしてカカシ先生の手から逃れるとよろよろと歩いていく。
が、ふり、ではなくてマジで酔っぱらっていたので見事ドブにはまってしまった。水が流れていなくてよかったが俺はその場でこけてへたり込んでしまった。
展望が暗いとなんだか動く気も起きない。
カカシ先生はしょうがないですねえ、と笑って俺に向かってしゃがんで背中を向けた。
え?と思っていたら、どうやら俺をおぶってくれるらしい。
どうしよう、嬉しい。でも、苦しい。
いいや、だってどうせ俺の恋心なんて叶うはずないんだから、今だけでもおぶってもらってその背中を一瞬でも独占したっていいじゃないか。それくらい、夢見たっていいよな?
俺は素直にカカシ先生の背中に乗っかった。
カカシ先生は細身に見えるけれど、やはり忍びらしくがっちりとした体格をしていた。でも無駄な筋肉はついていないような気がする。俺はどちらかと言うと筋骨隆々タイプで、無駄な肉も多少ついていると思う。
カカシ先生は俺の家まで来た。が、俺は寝たふりをしていた。もしかしたらカカシ先生は気が付いているかもしれない。俺が狸寝入りをしていることに。
だが、カカシ先生は俺が眠ったふりをしていることを容認してか、本当に気付かないのか、俺に声をかけることなく家の鍵を手慣れた手つきで小道具を使ってこじ開けた。
うわあ、対忍び用にカスタマイズしてある鍵をこんなにあっさり開けた人初めて見たよ。さすが上忍だなあ。
カカシ先生は俺をおぶったまま部屋に入ると、寝室まで行って俺をベッドに寝かせた。
ああ、カカシ先生の背中ともここでお別れなわけだ。そう思うとやはり悲しい。
カカシ先生はベッドに腰掛けてため息を吐いたようだった。そうだよなあ、何を好きこのんでこんなもさい男をおぶって送っていかなきゃならんのか、ため息も吐きたくなるよなあ。
俺が女だったら、もう少しは望みもあったんだろうに、ぱっとしない中忍のもさい男に好かれて、カカシ先生も貧乏くじ引いちゃって、ほんとごめんなさい。
初恋は大抵叶うことがないとは聞くけれど、そのジンクスは当たってるなあ、なんてぼんやりと考える。
ふと、いつの間にか俺の髪がさらさらと手櫛で梳かれている。自分で梳いているわけじゃない。と、すればカカシ先生がしているのか。
髪留め、いつ外されたんだっけ?ああ、でも寝る時は邪魔だから俺はいつも外して寝るんだ。カカシ先生、気遣いがなってるよなあ。
こんな風に女の人も優しく扱うんだ。そう思えばまた涙腺がゆるくなってくる。
俺はするすると流れる涙を止めることなく流すままにした。でないと泣きわめいてしまいそうだったから。
目元にひんやりとした手が触れて、俺の涙をすくう。優しくしないでほしい。俺は、勘違いしてしまいそうになる。俺はあなたにとって特別なんじゃないかって、そんな独りよがりの妄想に執心してしまいそうになる。だから、どうか、俺のことは放っておいて下さい。
そう思っていたのに、この恋は誰にも知られないように自分の中に留めておこうと思っていたのに、あなたが、カカシ先生、あなたがあんなことを言うものだから、俺は、俺は。
微かに、まるで恋人に囁くかのように呟いた言葉、
「イルカ、」
俺の名を、どうしてそんな風に呼ぶんですか?愛しい者を呼ぶように、大切そうに呼んだ俺の名。
ひどいですよ、カカシ先生。そんな声を聞いてしまったら、俺は、あなたを忘れることなんかできないじゃないですか。あなたにいつでもそんな風に呼んでもらいたいなんて瞬時に考えてしまう程、俺はあなたに恋い焦がれていると言うのに。それなのに、あなたには好いた人がいるんだ。
ひどい、俺は、どうしたらいいんですか。
カカシ先生はそれからしばらくして帰ってしまった。
俺はカカシ先生がいなくなってから、また静かに涙を流した。
そして小さく呟く。
「あなたが、好きなんです。」
と。
どうしてこんなに惹かれてしまうんだろう。接点なんてナルトたちを通してでしか会うことも話すこともないし、今回も前回も、飲みに行ったのはナルトがらみのことで俺自身のことじゃない。ただ、俺に見せてくれる切なげな目が、時折見せる、あなたの表情が、気になって仕方なくて。
俺はその夜、ベッドに突っ伏してひたすら静かに泣いた。
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